神社仏閣で拝む意味は全くありません 02

前回の記事「神社仏閣で拝む意味は全くありません 01」の続きです。

前回はお寺のルーツを解明しましたが、今回は神社のルーツである国家神道というものを調べていきます。まずはWikipediaより記事の一部を抜粋します。


国家神道(こっかしんとう)とは、近代天皇制国家において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。「国体神道(こくたいしんとう)」や「神社神道(じんじゃしんとう)」、単に「神社(じんじゃ)」とも称した。

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「国家神道」は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの、狭義には「宗教」とされた「教派神道」に対して、「神社非宗教論」の立場に立ち、内務省神社局によって統制されたものをいう。国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官、教部省による神社行政も含まれる。

大日本帝国憲法では文面上は信教の自由が明記されていた。しかし、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という公権法解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないとの公式見解を示し、また自由権も一元的外在制約論で「法律及び臣民の義務に背かぬ限り」という留保がされていた。宗教的な信仰と、神社と神社で行われる祭祀への敬礼は区分されたが、他宗教への礼拝を一切否定した完全一神教の視点を持つキリスト教徒や、厳格な政教分離を主張した浄土真宗との間に軋轢を生んだ面もある。


天皇制国家において作られたものであると書かれている通り、天皇や皇室祖先神を祀っているのが神社である事は間違い無い様です。
そして、日本政府は「神道は宗教ではない」という理由を付けて、他宗派よりも上位においている事が伺えます。要は、国家神道こそが日本の精神であり、最も偉大な神であると公言している様なものです。よって、政教分離にも該当しないとして、国家神道の思想を政界に持ち込もうとする意思が垣間見えますね。それを他の宗教からも非難された過去があるとの事です。

…ここで、政教分離について説明しておきます(コチラより一部抜粋します)。


国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。国家と宗教とが未分化で明確に区別されていなかったり、両者が密接に結合している場合、個人の信教の自由は認められない。その意味で、政教分離と信教の自由は表裏一体の関係にある。政教分離の思想は欧米で生まれたもので、近代化と共に非キリスト教国にも浸透していった。日本では明治以来、国家と神道が結びついていたが、第2次大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)による神道指令(1945年)で、国家と神道が分離された。政教分離が本格的に確立したのは、戦後発布された日本国憲法においてである。そこでは、宗教団体が国から特権を受けたり、政治上の権力を行使することが禁止され(20条)、財政面でも宗教団体への公金支出が禁止されている(89条)


この政教分離の意味、良く覚えておいて下さい

では本題ですが、神社の中で最も有名なのはやはり「伊勢神宮」でしょう。天皇もお参りに伺いますし、毎年多くの参拝者が訪れる事は誰もがご存知だと思います(Wikipediaより一部抜粋します)。


伊勢神宮には、「太陽」を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する[6]。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)。

伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く[8]、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる(遷御#メディアによる報道)。


伊勢神宮で崇めている神は天照坐皇大御神(天照大御神)ですが、この天照大御神というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一の神様です。ゲームでも「アマテラス」という名を聞いた事もあるかと思います(Wikipediaより一部抜粋)。


天照大神/天照大御神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)は、日本神話に登場する女神。皇室の祖神で、日本国民の総氏神ともされる。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。 天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされる。神社としては伊勢神宮が特に有名。


…日本国民の総氏神であると定義されていますね。知らないうちに天照大神が日本国民全員の神様とされていますが、どれ程の国民がこの事実を知っているのでしょうか。

ではこの天照大神をさらに調べてみましょう。Wikipediaの続きより一部抜粋します。


中世の神仏混淆で本地垂迹説が広まると、インドの仏が神の姿をとって日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになる


日本において、インドの仏の神の出現によって宇宙神である大日如来(だいにちにょらい)と同一となった様です。…インドの仏教の教えを取り入れたのか、もしくは元々同じ仏教であったから同一としたのかは良く分かりません。
では、今度は大日如来を調べてみましょう。Wikipediaより一部抜粋します。


大日如来(だいにちにょらい、梵: Mahāvairocana)は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。

…….

『大日経』の教主であり、『大日経』の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主である。また『金剛頂経』の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心。空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。なお、不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。


色々と繋がりを調べていった結果、密教の仏という事ですね。密教と言えば空海です。

非常に有名ですね。やはり日本の仏教において多大な影響を及ぼした人物である事に間違いは無い様です。では空海の実態を暴いていきましょう。RAPT氏の下記記事をご覧下さい(一部抜粋します)。

・〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。


…いやいや、「空海」は絶対にそんな人ではない、と言う人がいるかも知れませんので、一応、真言宗の各派で読誦されている怪しげな経典の一部をここでご紹介しておきましょう。

真言密教には「理趣経」と呼ばれる経典がありますが、この中にはこんな文言が書かれています。

----------------(以下、ウィキペディアより転載)

妙適淸淨句是菩薩位 – 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 – 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 – 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 – 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 – 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 – 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悅淸淨句是菩薩位 – 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 – 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 – 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 – ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 – 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 – 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 – 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 – 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 – 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 – この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 – 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

----------------(転載ここまで)

見ての通り、およそ半分が「性的」な行為を礼賛する文言で埋められています。

※理趣経についてのWikipediaの記事はコチラになります。


密教とは秘密仏教の略称とも呼ばれていますが、凄いですね、これは秘密にしておきたいですね。「神様仏様…」と唱えておきながら、影ではほとんどセックスの事しか考えていない様ですから。
修行だ節制だ精進料理だ「無になれ」だと信仰者には説いていながら、当の密教の僧侶達は裏で女性達を招き入れて快楽にふけっているみたいです。どう考えても崇高とは程遠い、低俗な存在そのものですね。呆れてものも言えません。続けます。


しかも、このような経典から「真言立川流」などと呼ばれる過激な宗派(これについては昨日も少し触れました)が誕生することになったわけですが、この「立川流」がどんな気の狂った宗派であるかは、ウィキペデアにもやはり堂々と書かれてありました。

----------------(以下、ウィキペディアより転載)

経典は般若波羅蜜多理趣品、空海が将来した所謂理趣経(りしゅきょう)で、荼枳尼天(だきにてん)を拝する。

本来仏教では性交は不淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある

ただし、日本には瑜伽タントラまでは多く伝わっているが、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、立川流を除く多くの密教では性交には否定的である。(註:今も言ったように、これは真っ赤な嘘ですね。)

特に髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂といって1000人の髑髏の上部を集めたもの、法界髏という儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

(註:突然、ドクロが出てきて困惑します。要するに、ドクロ(死体)がなければこの「立川流」は成立しないわけです。カタコンベにドクロが集められたのも、やはりこのような儀式を行うためだったのでしょう。詳しくはこちら)

こうして選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える

しかもその行の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。(註;まさに気が狂っていますね。これを悪魔崇拝と言わずして何と言えばいいのでしょうか。)

※立川流についてのWikipediaの記事はコチラになります。


これを見て頂いた方、改めて申し訳ありません。
もう無茶苦茶ですね。前回のチベット仏教の真髄である「タントラ」が出てくるとは思いませんでした。何処までもエグイです。人間の頭の骨を集める行為は蛮族や首刈り族等を連想していましたが、まさか仏教の派生でこんなキチガイな行為を堂々と行なっていた事に愕然とします。犯罪どころでは済まされません。
そして、髑髏(されこうべ)に男女の体液を何千回にもわたって塗りつけ、その間にひたすらセックスをして真言を唱え続ける…、もうゲンナリです。現代人からしてみてもドン引きです。
この様な儀式を何と呼ぶのでしょうか?そうですね、明らかに悪魔崇拝儀式です。ハロウィンやチベット仏教、密教、どれもこれも悪魔そのものです。

以上、国家神道および日本の神社の神様のルーツを説明しました。
この事実を皆様は教科書等で習った事があるでしょうか?もちろんある訳無いですよね。文部省も、これらの淫乱な儀式の実態が暴かれてはマズイのはさすがに分かっているでしょう。
よって、ひたすら事実を隠しておきながら、我々国民に「これが日本の神様であり、素晴らしいものだ」と騙して拝ませてきたのです。風習・習慣として学んできたお参りにおいて、私達が祈る神様の実態は完全に悪魔だったという訳です。本当に、どうしようもない国です。

そして、天皇や皇室祖先神を祀っているのが神社であると記事の初めの方で書きましたが、当の天皇も、現代において同じ様な悪魔崇拝儀式を行なっている疑いが強くある事をご存知でしょうか?RAPT氏の下記記事をご覧下さい(一部抜粋します)。

・天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。


実際、昭和天皇の死去以降、まず、宗教学、民俗学、歴史学といったアカデミズムからのアプローチが盛んになり、大嘗祭が近づくにつれて、及び腰ながらも〈秘儀〉を活字にするマスコミも登場するようになった。また、海外のメディアまでがこの〈秘儀〉に強い関心を示しはじめている。

そして何より、我々の問で、様々な風説がまことしやかに流布しはじめているのだ。日く、

「天皇は大嘗祭で窓きものがついたようにトランス状態になる

「深夜、大嘗宮の中で女性と性的な行為をするらしい

昭和天皇のミイラと一緒に寝る儀式がある」

稲穂に天皇が精液をかける儀式が大嘗祭の骨子だ」

■霊魂が新天皇に付着する!?

単なる無責任なデマ、としか思えないこれらの風説は、あながち無根拠というわけでもない。むしろ、ある種の本質をいいあてているとさえいえる部分もあるのだ。

…….

大嘗宮正殿の中にまで入れる人間はきわめて限定されている。そのしつらえを見ると、御座(天皇の席)と神座をのぞけば、関白の座と宮王の座、そして数人の采女の座しかない。

しかも内障にまで入れるのは天皇と采女の代表ひとりで、残りの人間は外陣にとどまることになっている。

そして内陣と外陣はカーテンによってさえぎられている。大嘗祭とは、また、男女が二人きりで夜をすごす儀式でもあるわけだ。

この采女を性行為の相手として見るのが、歴史学者の岡田精司らである。采女とは「宮中で炊事・食事などをつかさどった女官、大化以前は地方の一家族の子女から選んで奉」(岩波古語辞典〉られた女性である。

つまり、子女と性交することで、豪族に服従を誓わせた服属儀礼との説だ。


こんな話は知りたくない!聞きたくもない!と思ってはいけないと私は思います。
この様な生々しい噂が全くのデタラメでしょうか?ルーツであった密教があまりにも卑猥で残酷な事をやっていたのですから、その行事や風習が現代まで伝わっていてもおかしくないのです。
また、RAPT氏は密教のさらに異常な面を調べてくれております。続けます。


実は「密教」にはミイラ仏(即身仏)というものがあります。

ミイラ仏とは、断食しながら死ぬまでお経を唱えつづけてミイラとなった僧侶たちのことで、そのミイラを仏として奉っている寺院がこの日本には各地にあります。以下がそのミイラ仏の数々です。

…….

…この僧侶たちはミイラになるために、自ら「漆(うるし)」を飲みながらお経を唱え、自分の体を防腐処理していたそうです

「漆」は毒物なので、これは完全な自殺行為にあたるわけですが、そんな悪魔的な所業を「密教」では尊い行いと見なされていたわけです。本当に「密教」はどこからどこまでも悪魔的です。

しかも、こんなただの骸骨を神のように崇めるわけですから、まさに狂気の沙汰としか言いようがありません。


洗脳とは恐ろしいものです。死ぬ直前に漆を飲んで自らをミイラの身体にする…、何を好き好んでこの様な信じられない行為を行なってきたのでしょうか?人によっては、この事実を知ってしまっただけで気が狂いそうになりそうですね。現代に生まれてきて良かったとつくづく思います。

そしてこれは聖書とも関わってくるのですが、まずは天皇家の紋章をご覧下さい。

これは菊花紋章ですが、花であるキクをモチーフにしています。…というのは建前です。
菊花紋章の花びらは16枚ですが、実際の菊の花の花弁(花びら)の枚数は何と5枚との事です。コチラの記事にて詳細が分かります(一部抜粋します)。


「キクの花の花弁数は5枚」と言ったら意外に思うでしょうか? 
キク科植物において「ひとつの花のように見える部分」は、じつはたくさんの花の集合体。それぞれの花は基本的には筒状で、5枚に分かれた花弁を持っています(ただし変形していることが多く、ちょっと見ると花全体が1枚の花弁にしか見えない場合もあります)。


また、コチラのPDF資料でも同様、5枚というのが正しい様です(一部抜粋します)。


舌状花と管状花について『植物の図鑑』にはヒメジョオンの解説図がある.舌状花は癒合(ゆごう)した 5 弁花である,つまり 5 枚の花弁がひっついて1 枚になり,それが舌のような形をしているからこの名前がある.
管状花は肉眼では確認しにくい小さな花であるが,先が5つに裂けている図が掲載されている.このような解説を読んだ私は,キク科の花びらは多いという思い込みを捨てなければならなかった.キク科の花びらは 5 枚であるのだ.


よって、菊の紋章とは言いますが、実際の菊とは違う訳です。「いや、あくまで菊に似せてるだけでしょ?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、菊か菊でないかはそれ程重要ではありません。
この紋章、実は古代エジプトで発見されたヘロデの紋章とそっくりです。コチラの記事をご覧下さい(一部抜粋します)。


当然古代イスラエルには菊の紋は存在しない。ヘロデ門にある紋章は太陽をモチーフにしているともされているのだが、この菊の紋とそっくりな印は確かに3000年前から存在しているのだ(太陽と菊を印にした場合には当然似てしまうという声も根強い)。


そこまで似てるかな…?と思う人もいるでしょう。ではRAPT氏の下記記事を見て下さい。

・日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。


実際、太陽崇拝=悪魔崇拝が盛んに行われていたとされるエジプトでも、この「菊の御紋」と同じ模様をした遺品がいくつも発見されています。もし何の説明も受けずにこれらの遺品に見れば、誰もが天皇家にかかわる遺品だろうと考えるに違いありません。しかし、これは日本ではなく、古代エジプトで発見されたものなのです。



これは言い逃れ出来ないでしょう。どう見ても菊花紋章 = ヘロデの紋章です。何か頭が混乱してしまうかもしれませんが、この遺品は現実に存在します。そうなると、古代エジプトの王のヘロデの血、もしくは教えが現代の天皇家に伝わっていると考えるしかないのです。

また、上記の通り、このヘロデの紋章は太陽をモチーフにしており、実際に太陽崇拝(悪魔崇拝)が盛んに行なわれてきた事も事実です。
※太陽崇拝が何故悪魔崇拝なのかは、過去のコチラの記事で説明しています。

そしてヘロデ王は、新約聖書に登場するイエス・キリストを殺そうと図った極悪人です。実際はキリストは殺されずに逃れる事が出来ましたが、多くの幼い子供達を殺した事実が書いてあります。


– 新約聖書:マタイによる福音書 第2章 –

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。

…….

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」

そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した
こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。


この様に、ヘロデ王はイエス・キリストを殺そうと企んでおりました。要は、主である全知全能の神様に真っ向から反逆していたという訳です。神の子であるキリストを殺そうとしていたのですからね。
その紋章を同じく天皇家も家紋としているのですから、何処までも聖書の教えに反逆する、正に天皇家も根っからの悪魔崇拝者だという事です。少なからず理解出来たのではないでしょうか?

…現代の神社仏閣はさすがにここまでの非道で汚らしい儀式を行なっているとは考えにくいですが、日本のトップはこの様な仏教を重んじて優遇しています。そして、実際に日本の神社仏閣は多くの利益を上げ、多大な財産を持っている訳です。コチラの記事をご覧下さい(一部抜粋します)。


背景に宮司の座をめぐる争いがあったという見方が有力だが、宮司は豪勢な洋館に住み、弟の前宮司も銀座のクラブで豪遊していた。「宮司はそんなに儲かるのか」と驚いた人も多かったはずだ。
このような宗教者は例外的だとはいえ、なぜ贅沢が可能だったのだろうか。理由は主に3つ考えられる。

1点目は、神社に限らず、宗教法人は法人税が原則的に非課税となっているからだ

たとえばおみくじの頒布や祈祷料には税金がかからない。富岡八幡宮には事件前、正月三が日に約15万人が参拝したというが、そのお賽銭はすべて非課税だ。そして非課税措置は、公私を曖昧にする危険性を常に孕んでいる
お賽銭を個人のポケットに入れたら本来は横領です。もちろん、抜いた分には所得税がかかります。しかし、お賽銭はもともと非課税。信教の自由との関係もあって、税務署は積極的にチェックしません」(現役僧侶であり税理士でもある上田二郎氏)。


宗教法人に対しては、法人税が原則的に非課税となっているらしいですね。
政教分離では、宗教団体が国から特権を受けたり、政治上の権力を行使することが禁止され(20条)、財政面でも宗教団体への公金支出が禁止されている(89条)と書いてありますが、どう考えても特権そのものです。何で宗教団体だと法人税を払わなくて良いんですかね?お賽銭だって、誰もチェックしなければいくらでも横領し放題だと思うのですが。

日本政府自ら決まり事を見事に破っている訳ですね。やはり日本の神様という名の悪魔を拝んでいるから、その様な宗教団体を優遇するという事なんでしょうね。日本政府の根底にある「生長の家」も宗教団体ですしね。何度も言いますが、本当にどうしようもない国です。
こんな事だから、神社仏閣のお坊さんはお金が増えて増えてしょうがないんでしょう。いくつか実態を載せておきます。

・なんで、お坊さんは金持ちであることを隠さないのか?

・お坊さんの年収の格差がヤバイ!平均は低いが結婚は可能か?

・勘弁してくれ。お坊さん・住職の男性が不倫しやすい3つの理由

・代官山の寺カフェで、お坊さんの私生活を丸坊主にしてきた。

もちろん、全てのお坊さんがこうとは限らないですし、本当に慎ましい生活を送っている住職の方もいらっしゃいます。
ですが、随分と良い身分の方もいらっしゃるみたいですね。儲かる神主は我々国民のお賽銭や、戒名による法外な値段を頂く事で優雅な生活をしていると思うと、実に羨ましい限りです。

随分長くなりましたが、以上です。

聖書では、神ではない偶像を拝む事(要は神社仏閣に行って拝む事)は罪であると厳しく説いています。そして、罪を犯してきた人間達には容赦無く神様は裁いております。これは脅しでも何でもなく、聖書にて繰り返し書かれている事です。

もしこれを見て神社仏閣で拝む事を止めようと思ってくれた方がいれば、とても嬉しいです。
特に行く必要を感じていなければ、別に無理して初詣に行かなくて良いんです。その分、新年になったら家で「今年も良い年になりますように」と心の中で祈るだけで良いのです。わざわざお金を出してお守りを買う必要も無いんです。その様な物体にすがっても、人生何も変わりませんよ(当たり前なんですが)。

それでも人によっては今までの習慣を変えるのは怖いと思う人も多いでしょうね。ですが、ここまで世の中が悪魔だらけである以上、私達も意識を変えていかなければいけません。
そして、初詣に行かない事で1つの罪を悔い改める事になるのですから、きっと神様が祝福して下さると思いますよ。

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