「神様」や「悪魔」という存在に対する見解

今まで書いてきたブログの中で、「神様」だとか「悪魔」だとかの言葉を私は使っています。

まあ皆さんも大体の事は分かると思います。要は、悪い事をやっていたり、気持ち悪い行ないや淫乱な行為に対する事に対して悪魔的だという認識は持てるでしょう。
そして、漠然ではありますが、この世に神様がいて、もしかしたら私達を見守ってくれているかもしれないと感じる事もあるかもしれませんね。

しかし、過去のハロウィンの記事にて、下記のコメントを書きました。


元々が悪魔的行事である為、これに喜んで参加する人達は軒並みモラルが低下します。皆で騒げば汚してもバレない、そんな意識になります。性に対しても開放的になります。要は、精神的に馬鹿になるんです。「悪い事を行なうつもりはさらさら無い!」と主張しようが、結果的には大迷惑を掛けてますし、逮捕者まで出す事態になるんです。


これに対し、「結果的に迷惑は掛けているけど、たかだかハロウィン祭に参加するだけで何で意識が悪い方向に向かうのか?本当に意識が低下するのか?」と、いまいち腑に落ちない、疑問に感じる人もいらっしゃると思います。

それを今回、私なりの言葉で説明したいと思います。

私は「霊」という存在を実際に目で見た事はありませんが、世の中には実際に霊の姿を見た人もいる訳です。単なる幻覚ではないのか?と思ってはいたのですが、怪奇現象や憑依というものを体験した事がある人の話を聞くと、あながち嘘ではないかもと思いました。さらに、UFOらしきものを目撃し、それを映像に残している人もいます。下記Youtubeが実際の映像です。

正直、UFOかどうかは分かりません。ですが、とても合成とは思えませんし、急に光が現れ真下に落下する挙動を見せる以上、飛行機とも言えないのです(カメラの手ブレの可能性も無いとは言えないのですが)。
実際に、RAPT氏も霊的な体験をしたと下記記事にて綴っています。

・霊はこの世に存在している。しかし、人々は霊的なものにどう対処すればいいか分かっていない。

1つ言える事は、私達は人の「気配」を感じる事が出来ます。「目には見えないけど誰かがいる?」こういう感覚は誰でも持っているはずです。家族と一緒に過ごしている時と、家族が旅行に行って1人で過ごしている時とでは、明らかに部屋や家の雰囲気が異なるのもそれが理由でしょう。そうなると、人間誰しも霊的な何かを感じるのはやはり本当の事だと思います。それは他の動物も同じです。

では本題ですが、私は「神様」や「悪魔」というものは、

私達の思考の中に存在しているもの

であると思います。もちろん、これだけの存在とは決して思えませんが、少なくとも私達の思考に影響を与えているのは事実だと感じます。例えを交えて説明していきましょう。


– 新約聖書:ガラテヤ人への手紙:5章 –

肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである


これは悪魔の要素であると聖書では説いていますが、

敵意、そねみ(嫉妬)、怒り、党派心、ねたみは正に悪魔の思考です。理由の有り無しに関わらず、急にこの様な感情や思考が出てしまうのは、悪魔が私達に働きかけている、こう捉える事も出来ます。

また、不品行、好色、偶像礼拝、争い、泥棒、宴楽等、これらは私達が自らの意思で行なう行為ですが、これも私達1人1人の思考の末に行ないます。人間は思考によって動く存在ですから、悪魔の働きかけによって私達の思考が支配され、それによって悪事を働くよう仕向けられてしまう、こう捉える事も出来るのではないでしょうか?

これであればハロウィン祭による意識の乱れも説明が出来ます。
ハロウィンの起源が悪魔的儀式である以上、そこには悪魔(の思考)というものがウヨウヨと彷徨っています。その悪魔の強烈な負の思考によって人間の良識が破壊され、ひたすら非道な行ないをしろと悪魔に促され、人身供養や殺生を行動に移してしまうのではないでしょうか?

それは現代も変わらず、ハロウィンの日には渋谷や大阪等、祭を実施する場所に多くの悪魔が群がり、参加者に悪の思考を強烈に植え込み、結果的に開放的になったり犯罪を犯す行動に出たりするという事です。
下記に事例を並べましょう。


●暴力団が常に悪さをするのも、その人に悪魔が取り憑き、悪魔の思考に完全に支配されているからです。

●麻薬の中毒になってしまうのも、麻薬という罪を犯す事で大量の悪魔がその人に群がり、ひたすら麻薬を続けろと思考に働きかけるからです。

●一度アニメキャラに性的興奮を得てしまうとすぐに悪魔が寄ってきて、ひたすら快楽に溺れろと思考に働きかけてきます。それに負けて快楽に溺れ続けると悪魔が住み着き、何年何十年に渡ってもそのアニメキャラを使って誘惑を仕掛けてきます。

●一部の女性がブランド物にハマるのも、高級品を所持しているという快楽によって悪魔が寄り着き、次々と買わせて快楽の虜にさせる様に促す為です。

●人の成功に嫉妬してしまうのも、悪魔が「そうだ。お前は能力の無い駄目な人間なんだ。」と思考に訴えかけ、不安に思わせる為です。

●「うつ病」というのも、悪魔の思考に汚染され、何もする気が無くなってしまう思考にまみれてしまうものです(だからこそ、薬では決して解決出来ないのです)。

●悪い事を指摘すると人によっては逆ギレするのも、指摘する事で悪魔が怒り狂い、攻撃的な思考をその人に植え付けるからです。要は、人間を介して悪魔が直接攻撃してくる様なものです。

●あるプロジェクト内でやる気の無い社員が混じっていると、悪魔の怠惰な思考が他の真面目な社員にも伝染り、結果的に全員のやる気も無くなってしまうケースがあります。

●人々を偶像礼拝に導こうとするのも、神様が創造した人間の意識を神様以外のものに向けさせ、神様の怒りを引き起こす為です。

●天皇やダライ・ラマがこれまで「善人」と思われ続けてきたのも、それだけ彼らが高位の悪魔の思考を持っており、人を騙す事に長けていたからです(悪魔のトップであるルシファーの様な存在ではないでしょうか)。

●悪魔に汚染された日本政府が国民の生活水準をどんどん下げていくのも、国民を不安と絶望に陥れ、悪魔の思考に満たされる様にする為です。

●金に関する欲もキリがありません。それは日本のトップの政治家達を見れば良く分かります。彼らは国民の税金を貪って、富と名誉の欲に溺れているのです。完全に悪魔の思考に踊らされているのです。
etc…


…色々と挙げましたが、悪魔というものが実際に存在すると少しは実感出来たと思います。

悪魔は、「罪」そのものです。だからこそ、聖書でいう罪を犯すと悪魔が直ちに寄ってくる(思考の中に入ってくる)のではないでしょうか?

とにかく我々現代人は罪を犯す事が当たり前になってしまいました。
芸能人の不倫や離婚が当たり前に思えてしまったり、政治家達の汚職や奇妙な犯罪、残酷な殺人事件や意図的な差別発言等、この世の中全体が悪魔に汚染されてしまっている気がしてなりません。メディアによる誹謗中傷は酷いものです。視聴率が取れればどれだけ槍玉に上げても良い、そんな非道な報道が飛び交っています。
とにかく、悪魔は「愛」とは正反対の存在です。

では、今度は神様の思考について見てみましょう。


– 新約聖書:ガラテヤ人への手紙:5章 –

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない


これらが、正に神様の「思考」そのものではないでしょうか?私達誰もが常に感じていたいと思う思考です。

私達が愛の思考に包まれていれば、当然不安なんて入る余地はありません。お互いに心から信頼出来る夫婦が愛に満ちているのも、神様の思考の賜物です。
欲や下心の無い善意は、与えた人から必ず喜ばれるでしょう。神様の思考を、人を通じて与えるのと同じ事ですから。
そして何よりも、罪を無くしていく事で神様からの愛の思考をさらに受け、何を行なうにもやる気に満ちてきます。アイディアもどんどん湧いてきます。愛があればそれが喜びに繋がります。平和にも繋がります。
そうです、悪魔は罪によって群がってきますが、逆に神様は愛によって私達に祝福と栄光で満たしてくれるのです

何か仕事をしたり、文章を書いたり、物を作ったりする時に私達は常に脳を使って考えますが、時折素晴らしいアイディアが閃いたり、思う様に事が進んだり、楽しく感じられたりするのも、決して私達自身の考えだけでなく、神様からの思考が手助けしてくれていると思うのです。「何でこんな凄い考えが浮かんだんだろう?」という様なアイディアも、正に神様の思考がその人に与えられたからではないでしょうか?

もちろん逆に、仕事中にふと異性の妄想や娯楽にふけりたいという邪念も、悪魔の仕業だと感じるのです。
罪に塗れた生活をしていると、悪魔からの働きかけが強くなっていきます。ニートと呼ばれる人達が、寝てばかりでゲームばかりしていて、その他は何もする気力が無くなるのも、思考が悪魔まみれになってしまったからではないでしょうか?

そして、悪魔の思考にまみれた人の行く末は、完全に辛く苦しく不安だらけの地獄の様な世界です
好色、偶像礼拝、争い、ねたみ、宴楽、これらは何の生産性も無いからです。最後には何も残らないからです。
快楽にふけっても、その場は楽しくてしょうがないでしょうが、その後は大きな虚無感に悩まされます。
物に拝んでも何も運命は変わりません。
戦争で何を得られたでしょうか?多くの犠牲者が出るだけです。残るのは悲しみだけです。悪魔の様な支配者達が喜ぶだけです。
ひたすら妬んでも、最後には罪悪感だけが残るだけです。

とにかく、聖書でいう罪というものが、思った以上に恐ろしいものだと誰もが理解出来ると思います。

以上、私なりの神様と悪魔というものを書きました。

人によっては厳しい言葉でしょうね。快楽というのは、その時は本当に楽しいですからね。誰もが何かしら、各自の持っている罪の中毒になっていると言っても過言ではありません。

しかし、これだけは知って下さい。

悪魔は罪によって群がってきます。逆に言うと、罪から離れる努力をすれば悪魔は寄ってこれないのです

…聖書では、悪魔は元々神様に仕えていた天使でした。しかし、自ら怠けて快楽に溺れ、神様から追放されてしまったのです。だからこそ、嫉妬まみれの悪魔は、神様が創って愛する人間を妬んで、ひたすら罪に溺れる様に思考に訴えかけてくるのです。

ですが、神様の威厳に悪魔は太刀打ち出来ません。存在の大きさそのものが違うのです。そりゃそうですよね、神様は全知全能ですから。悪魔ですら、神様を常に恐れているのです。よって、神様の思考に満ち溢れ、罪を侵さない人間には悪魔も一切手出しは出来ません。それは神様が許しません。

こういう法則がある事を理解する事で、より自分の意識をコントロール出来ると思います。

はっきり言いますが、人間は誰でも罪を犯します。何かしら、必ず犯し続けます。ですが、それを悔い改めて努力すれば必ず神様は許してくれます。そうでなかったら、すでに人類は罪によって全員が裁かれているはずですから。
神様が人類に与えるのは常に愛である事を忘れないで下さい。

今後はさらに不安な世の中になっていきますが、絶対に愛を失わないで下さいね。人間、愛を失ったら生きる資格はありません。安倍首相や稲田朋美氏、麻生太郎氏の様に悪魔の思考に振り回され、最後には地獄が待っているのですから…。

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