メディアに出る人達の素顔 10(日本政府及び天皇家) その4

テレビ・メディア

前回の記事にて、日本の政界が遥か昔から在日朝鮮人達に乗っ取られており、我々日本国民の生活を良くしようなんて端から考えていなかった。要は、日本国民を奴隷として金銭的にも精神的にもひたすら苦しめ、完全なる貴族社会を作り上げていた事を説明しました。そしてこの話はファンタジーでもおとぎ話でもなく、現実である事をまずは認めなければならない事も伝えました。

とは言え、この事実を知ったからには、世の中の不条理や不可解な事件が何故起こるのか? 巷で言う「在日」の実態とは一体何なのか? なんで有名人には在日が多いのか? これら様々な疑問の答えが薄っすらと見えてくるのではないでしょうか? 「こんな事実は知らない方が良かった!」なんて後ろ向きな考えではなく、この現実を知ったうえで私達1人1人がどうしていくべきなのかを考えるきっかけになればと思い、前回の記事を書いています。

さて、長きに渡ってこの「メディアに出る人達の素顔」シリーズを書いてきましたが、その締め括りとして、最後は天皇家の素顔を調査する事で終わらせたいと思います。

今年に入って5月からは新元号である「令和」の時代が始まったのですが、つい最近まではもちろん「平成」の時代であり、平成時代の天皇は上皇明仁(じょうこう あきひと)氏でありました。

2016年7月に突如「生前退位」の意向を示した事は大きなニュースとなりました。私達日本国民にとっては「そうなんだ。一体どうしたんだろう?」と、多少の疑問と不安を感じた程度だけだったかもしれませんが、当時の宮内庁は全力で否定していました(コチラの記事より内容を一部抜粋します)。


宮内庁次長は全面否定「報道の事実一切ない」 生前退位

宮内庁の山本信一郎次長は13日夜、NHKが最初に生前退位について報じた後に宮内庁内で報道陣の取材に応じ、「報道されたような事実は一切ない」と述べた。宮内庁として生前退位の検討をしているかについては「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語った。さらに「(天皇陛下は)制度的なことについては憲法上のお立場からお話をこれまで差し控えてこられた」とも話した。


宮内庁とはWikipediaの記事でもある通り、皇室関係の国家事務や天皇の国事行為にあたる様々な事務をつかさどる機関ですので、当然、上皇明仁氏の真意も第一線で把握しているはずなのです。なのに全力で生前退位を否定するという事は、要は情報が外部にリークされたのでしょうか? そして、その当時は「生前退位は絶対にあってはならない」と宮内庁全体が思っていたのでしょうか?
ですが、まずは上皇明仁氏の生前退位が何を意味するのかを少なからず知っておかなくては理解出来ない疑問です。これについては、かの有名な漫画家である小林よしのり氏がその詳細をかなり深刻に語っていました(コチラより一部抜粋します)。


おそるべき天皇、生前退位の真相

天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたという報を聞いて、
思わず身震いしました。
まったく畏るべき陛下です。

この報を受けて、8月7日の関西版「ゴー宣道場」のタイトルを
『おそるべき天皇 生前退位の真相』
とします。

このご意向を、このタイミングで発表されたこと自体に、
陛下のおそるべき覚悟を察しなければなりません。

現行の「皇室典範」は天皇の譲位を認めていないため、
天皇陛下のご意向を叶えるには「典範改正」は必須です。

しかし皇室典範改正は国会が決めることなので、憲法の制約上、
天皇陛下が直接、皇室典範改正を要求する発言はできない
ことになっています。

そこで、ご高齢となったことから「憲法に定められた象徴としての
務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」として
譲位のご意向を表明されたのでしょう。

しかし、現在の状態で天皇陛下が皇太子殿下に譲位すると、
次の皇太子がいないという事態になります。

もし典範改正となると、女性天皇・女性宮家を認め、
愛子さまを皇太子にしようという議論が浮上しないわけには
いきません。

そもそも、天皇の譲位が禁止されたのも、女性天皇が禁止
されたのも、たかだか明治の皇室典範からのことで、
長い皇室の歴史から見れば、わずかな期間にすぎないのです。

国会議員は、今度こそ天皇陛下のご意向を汲んで、
皇室典範の改正を行わなければなりません!

8月7日の「ゴー宣道場」は、またまた恐るべきタイミングでの
テーマ設定となりました。
これほど重要な問題は他にありません。
「ゴー宣道場」の威信をかけた熱い公論の展開が
繰り広げられることになるでしょう!


小林よしのり氏は昭和時代から活躍している有名な漫画家です。

いや、久しぶりに彼の名前を聞きました。懐かしいですね。
『東大一直線』や『おぼっちゃまくん』が代表的な作品だと思いますが、ある日突然日本の政治や時事ネタについて漫画で語る様になり、『ゴーマニズム宣言』シリーズは今でも続いている様です。

私も初期の『ゴーマニズム宣言』の作品は読んでいましたが、本当に文章が多く、漫画なのに1冊読み切るのに1日以上掛かる事もありました。それなりに内容は面白かったものの、当時はまだ子供だった事もあり、途中で疎遠になった様な気がします。やはり少年ジャンプやマガジンの方が気楽に読めたのは事実です。
極端な例を申し上げますと、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』等とは対極を成す種類の漫画だという事です。その文章量は、もはや漫画ではなく「本」というレベルですね。

話を戻しますが、彼の訴えで最も気になったのが、

●「皇室典範改正は国会が決めることなので、憲法の制約上、天皇陛下が直接、皇室典範改正を要求する発言はできない」
●「現在の状態で天皇陛下が皇太子殿下に譲位すると、次の皇太子がいないという事態になります」

この2つですね。
前者については、要は天皇の一存で退位を決める事は出来ないという事でしょう。「皇室典範(こうしつてんぱん)」とは法律の事であり、皇室継承等、皇室に関する日本の法律です。例え病気や衰えによって国事行為が困難になってきたとしても、天皇の勝手な判断で譲位・退位する事は禁じられているのでしょう。
そして後者ですが、「令和」になって元皇太子であった徳仁(なるひと)氏が天皇となった訳ですが、現時点では確かに「皇太子」という方は不在という事となります。ここで、「皇太子」の定義を見てみましょう(コチラより一部抜粋します)。


皇室典範の記述

皇室典範においては、皇位継承順位一位の人物については「皇太子」「皇太孫」の二つが次のように定められています。

“皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫と呼ぶ。
皇室典範第八条”

ここでいう「皇子」および「皇孫」は、天皇から見た直系の男性の「息子」および「孫」を意味するので、秋篠宮殿下や悠仁さまは該当しません。少子高齢化が進み、側室制度も無い今、現在の様な「該当者なし」という状況は今後も容易に起り得ることです。

にもかかわらず「皇太弟」や「皇太甥」が定められていないのは、制度として欠陥があるからなのですが、いつまでも皇室典範は変更されず、「特例法」でその場しのぎがなされています。


天皇から見た直系の男性の「息子及び孫」を意味する以上、愛子様は該当しない事になります。そうなると、やはり現時点では存在しないという事になりますね。
とはいえ、結局は天皇家も人間ですから生前退位や皇太子が存在しないケースが発生する可能性は決してゼロではない訳です。こういった事態に陥るのも、ある意味致し方ないのでしょう。我々日本国民がそこを心配しても意味が無いのです。
それにしても、小林氏は皇室に対して随分と危惧している気がしますが、一体何故なんでしょうか?

ちなみに、「当初は彼はギャグ漫画を書いていたのに、何で政治関連や皇室関連の内容に傾倒していったんだろう?」と疑問に思いましたが、下記画像で何となく理解出来た様な気がします。

左が小林氏です。
これはテレビ番組の1シーンですが、良く見ると右手でコップを隠しながら水を飲んでおりますね。身体の向きも変えておりますし、どう見ても「朝鮮飲み」です。舛添要一氏とコップの持ち手が同じである為、左利きなのでしょうか? 何にせよ、小林氏も在日朝鮮人である可能性は非常に高いという事です。そうなると、恐らく政治家や皇室の方達とも深い関わり(血の繋がり)があるのでしょう。彼が天皇家を妙に心配するのも、もしかしたら皇族と親戚関係があるのかもしれませんね。

※ちなみに、右の人は竹田恒泰(つねやす)氏ですが、彼はWikipediaでも書かれている通り、旧皇族である竹田家の子孫との事です。そして、下記画像にて明らかな「朝鮮飲み」を行なっている以上、彼も在日朝鮮人の血を引いているのは間違いのない事実であると思います。

さて、生前退位や皇室の事情について書いてきましたが、生前退位した上皇明仁氏自身についての素顔を調べていくと、結論はすぐに出ました。下記ニコニコ動画を見て下さい(動画の内容も合わせて抜粋します)。

今上天皇の「ゆかり発言」と武寧王の出生と桓武天皇


●00:00〜
平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前の恒例となっている記者会見においてのサッカーワールドカップ日韓共催に関する今上天皇のお言葉
いわゆる「ゆかり発言」

●00:03〜
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると、続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。


桓武天皇とは、遥か昔の日本の天皇の1人です(Wikipediaより一部抜粋します)。


桓武天皇(かんむてんのう、737年〈天平9年〉 – 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)は、日本の第50代天皇(在位:781年4月30日〈天応元年4月3日〉 – 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)。

略歴

白壁王(後の光仁天皇)の長男(第一王子)として天平9年(737年)に産まれた。生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠。当初は皇族としてではなく官僚としての出世が望まれて、大学頭や侍従に任じられた(光仁天皇即位以前は山部王と称された)。

※ちなみに、上皇明仁氏は第125代天皇です。


前回の記事にて日本は百済出身の在日朝鮮人に支配されていると書きましたが、天皇家も遥か昔から百済の血を引いた在日朝鮮人の家系だったという訳です。純粋な日本人ではなかったという事ですね。まあ予想は簡単に付いていましたが、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」なんて言葉は完全に建前だったという事が良く分かりました。
日本人の誰もが、

「天皇家とは遥か昔から現代まで伝わる、『日本で生まれて日本で育ってきた』由緒ある家系である」

…と認識していたはずなんですが、見事に裏切られた感じです。

また、天皇制と切っても切れない「元号」についても述べておきます。

「元号」とは新天皇が即位する際に付けられる名前であり、次の天皇に代わるまで続くものです。「明治」「大正」「昭和」「平成」、そして「令和」の事ですね。
実は子供の頃はそれ程意識していなかったのですが、大人になって色々と書類を書いていくうえで必ず突っかかるのがこの「元号」でした。まあ面倒な事この上なかったです。自分の生まれ年はさすがに忘れる事は無いものの、「親の生まれは元号だと何年だっけ?」とか「2005年って平成何年だっけ?」とか、何かしらでつまづく人は多くいらっしゃると思います。天皇制がある以上、常に元号は存在するので仕方なく受け止めていたのですが…。コンピューターのプログラムにおいても、西暦と元号の2パターンを考慮しなければいけないとなると、元号が変わる度に修正に迫られる事になるのでこれもまた一手間です。
それ以上に、過去を遡るといくつかの国でも元号を用いていた歴史こそありますが、現代で元号を用いているのは何と日本だけです。ローマ法王が存在するバチカン(ローマ)でも元号なんて使っていません。完全にガラパゴスです。
実生活としても面倒な事しか記憶が無いので、私としてはやっぱり西暦だけにして欲しいのが正直な気持ちです。

さて、その「元号」ですが、何で存在するのか調べてみました(コチラより一部抜粋します)。


①「元号」の成り立ち

元号は、中国の王朝である「前漢」の武帝が、紀元前115年頃に、自らの治世の当初に遡って「建元」という元号を定めたのが最初と言われています。

ちなみに、日本で最初の公な元号は、645年、孝徳天皇の即位と共に定められた「大化」です。
※「大化の改新」は大化元年に始まっています。

……

この時期に元号を公に使い始めたのは、大化の改新のコンセプトでもある「中国にならった中央集権化」の一環であると考えられています。

そもそも、元号を定めることは、
「空間のみならず時間も支配する」
ということを意味するので、日本における中央集権体制の確立の過程で元号を定めるようになったのはごく自然な流れと言えるでしょう。


元号の発祥は何と中国であるとの事です。そして、中国の王朝である「前漢」の武帝が初めて元号を定めたと言われております。要は、中国のトップが「空間のみならず時間も支配する」という名目で元号を名付けた訳ですね。

この「空間のみならず時間も支配する」という言葉の真意は分からないとしても、1つ言える事は、

「前漢」の武帝が中国を支配し、その時代の呼び名が元号であった

という事でしょう。
そして、日本では天皇が変わると元号も変わる訳ですから、

その時々の天皇がこの日本の支配者となり、その時代の呼び名が元号である

と、言い換えられます。結論を言うと、「元号」とは日本という国を天皇が支配する為の、完全なるご都合主義であると捉える事が出来ますね。要は天皇家や宮内庁、及び日本政府による自己満足な制度としか思えません。

そして、日本での元号の発祥時期はまさかの「大化の改新」です。という事は、藤原鎌足(在日朝鮮人)が元となって元号がスタートしたという事です。その藤原鎌足の子孫である麻生太郎氏という極悪人が現在の日本の政界に居座り、そこで影の最高権力者として大手を振っている訳なんですから本当に嫌になります。
前回の記事にて朝鮮人が日本を支配している実態を書きましたが、彼らは日本を支配しているという印、及び天皇制継続により発生する莫大な税金を欲しいが為に天皇制及び元号を維持している様なものではないでしょうか。

今年から「令和」という元号名になったのですが、この名前の由来もどうやら宜しくない意味合いが含まれている様ですね。まずはコチラの記事をご覧下さい(一部抜粋します)。


【新元号】「令和」は本当にR18だった! 「令和」をエスペラント語に訳すととんでもないことになると話題

新元号が発表されSNSでは令和18年生まれの人が履歴書にR18と書くことになると話題になっていますが、「令和」が本当にR18だったことが明らかになりました。

エスペラン語とは

エスペラント (Esperanto) とは、ルドヴィコ・ザメンホフとその弟子(協力者)が考案・整備した人工言語。母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする、国際補助語としては最も世界的に認知され、普及の成果を収めた言語となっている。エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている。(wikipedia)

エスペラント語は話す言語か異なる人同士がコミュニケーションをとるために人工的に作られた言語です。


エスペラント語に訳した内容ですが…、まあ女性器の事ですよね(汗)。
「いや、何でわざわざエスペラント語で訳すんだ!? ていうか、『エスペラント語』なんて知らないよ」と疑問に思う方ももちろんいらっしゃるでしょう。ですが、エスペラント語とは、実は日本政府や世界各国の政府の共通言語として使われていると思われる人口言語です。詳細については、RAPT氏の下記記事をご覧下さい。

・人工言語エスペラントは悪魔崇拝者たちの共通言語である。

簡単に説明しますが、「世界連邦運動」という国際的な非政府組織にてエスペラント語を学んで使用する事が決まりとなっているとの事です。ちなみに、この「世界連邦運動」というのは、「単一世界国家(単一世界政府)」(ワン・ワールド)の建設を目的とした組織である事が分かっています。要は、私の過去記事で書いた、悪魔崇拝者達による「ニューワールドオーダー」というとんでもない独裁国家の事です。

そして、その組織は日本でも「日本会議」の内部に入り込んでおります(世界連邦運動のWikipediaより一部抜粋します)。


日本での活動

日本では終戦直後に尾崎行雄ら有志の議員が「世界連邦建設に関する決議案」を国会に提出。1948年には「世界連邦建設同盟」が結成され尾崎行雄が会長に、賀川豊彦が副会長となって活動を開始した。また、名誉会長には戦後初の総理大臣東久邇稔彦が、第五代会長には湯川秀樹が就任している。「世界連邦建設同盟」は現在「世界連邦運動協会」と名を変えて活動している。

また、協会の活動を推進するために以下の団体がある。

なお、世界連邦日本仏教徒協議会を立ち上げた朝比奈宗源はのちに「日本を守る会」(現在の「日本会議」の前身の一つ)にも関与している (ちなみに、現在の世界連邦日本仏教徒協議会会長叡南覚範は、日本会議滋賀会長を務めている)。現在も神道では、世界連邦日本宗教委員会会長田中恒清は日本会議副会長を務め、世界連邦日本宗教委員会メンバーである北白川道久神社本庁統理や鷹司尚武神宮大宮司は日本会議顧問である。仏教では渡邉惠進前天台座主が日本会議顧問であると共に世界連邦日本宗教委員会メンバーでもある。

……

2005年8月2日、衆議院に「国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議案」を、川崎二郎外20名が提出し可決。本決議の中に「世界連邦実現の道の探求」という部分があり、本決議を受けて、麻生太郎外務大臣の指示により、2005年12月14日に、外務省総合外交政策局・政策企画室に世界連邦運動の窓口を設置することが決定した。


この様に、日本政府の裏の顔である日本会議にも深く食い込み、麻生太郎氏の指示によって「世界連邦実現の道の探求」が本格的に行なわれる事となったのでしょう。
よって、日本政府のトップ達(安倍首相や麻生氏、稲田朋美氏 他)はこのエスペラント語を用いて日々、彼ら悪人達が日本を支配する為の政策を極秘で話し合っていると思われます。話してる事が理解出来なければリークもされませんからね。

元号を決定するのは内閣であり、そんな彼らの共通言語のエスペラント語にて「令和」が女性器の言葉を連想させるのですから、これは確信犯ではないかと思われても仕方ありませんね。しかも、この指摘がされた途端、現在は何とGoogle翻訳で改めて「令和」を訳しても「Reiwa」と出ます。Googleに申し立てて慌ててプログラムを変更させた可能性が大です。
やましい事が無ければ放置すれば良いのに、完全に図星を付かれてしまったのでしょうかね?

他にも「令和」には不穏な意味が込められていると予想しているサイトがありましたが、個人的には、

「令和」 = 「れいわ」 = 「018」 = 6 + 6 + 6(悪魔の数字)

お馴染み「悪魔の数字」を隠語として埋め込んでいる説が最もらしいかなと思います。ただし、実際はもっと大きな秘密が隠されている様ですので、いずれ記事にするかもしれません。

…この様に、天皇制及び元号という存在が我々日本国民にとっては不便に思うどころか、至って「はた迷惑な存在」である事が理解出来たかと思います。元号の由来が在日朝鮮人達による「その国(日本)を支配している証」という、何とも屈辱的な内容なんですから。
そして、元号変更によるあらゆるシステムの対応に追われるエンジニアの方達を思うと、何ともいたたまれない気持ちになります。コチラの記事をご覧下さい(一部抜粋します)。


終わらない仕様書との戦い

システムの規模が大きければ大きいほど、多くのリソースを割いて改元対応を進めなければならない。あるエンジニアは「膨大な数のプログラムを相手に、チームで調査、改修、テストを繰り返している。時間はいくらあっても足りない」とため息をつく。

自分が構築時に関わったシステムなら仕様書を遡り、比較的短時間で問題を特定できるのだが、彼が担当しているのは、すでに離職した先輩が手掛けたシステム。「仕様書に記載されていない変更箇所を見つけると、その洗い出しだけでも一苦労。先輩に恨み言のひとつもぶつけたくなる」そうだ。

筆者は「仕様書に変更点が書かれていないことがある」ことにまず驚いたが、他のエンジニアもその可能性を否定しない。「最近は監査が入るのでそうした事例は少なくなったが、古いシステムであれば仕様書を確認しても変更点が書いていないことはあり得る」と証言する人もいた。改元対応に限らず、前任者たちがシステムの増改築を繰り返した結果、迷路のように入り組んだ“後任泣かせのシロモノ”になったという話は枚挙に暇が無いという。

2000年問題の対応にかかった時間は3年ほど。未解決事件を解き明かすコールドケース捜査官になった気持ちで、プリントアウトした数十万行というソースコードを、ラインマーカー片手に1行1行確認していったそうだ。既に一線からしりぞいた彼は「改元で似たような対応を迫られているエンジニアもいるのでは」と後輩を憂える。


私は現場の人間では無いので、実際どうなるのかは分かりません。
予め元号対応のシステムが組み込まれていれば「平成(heisei)」を「令和(reiwa)」に直すだけで済むのかもしれませんが、元号管理となると数字上は「1」にリセットされます。平成31年という中途半端な数字から令和元年(令和1年)となるのですから、ロジックを考えると決して楽とは思えません。非常に大規模なシステムである場合は、たった一部の変更でもシステムに支障をきたす可能性が無いとは言えません。過去の事例と同じく、またもやシステム保守の為に膨大な労力及び資金が浪費させられるのではと感じるのです。

事実、元号というものが無ければ下記記事の様な煩わしさも経験する事無く済んだはずなのです。

・外国人向けの文書に省略した和暦を使用するのってどうなの?

・2桁西暦年号

前者の記事ですが、「27.6.17」が一体いつなのか、元号に馴染みの無い外国人がすぐに理解出来ると思いますか? 無茶苦茶ですよね。ちなみに、これは「平成27年(2015年)6月17日」の事です。
後者の記事もそうです。「昭和100年問題」とか「平成100年問題」とか、はっきり言いますよ、馬鹿なんじゃないでしょうか? しかも、コチラの記事にある通り、実際に直面する問題なんですよ? こんなシステム保守に度々費やされる位なら、最先端技術への投資に活用出来た方が断然生産的ですよね。こういう面でも、元号は「目の上のたんこぶ」の様な存在であると言えます。これが全て「西暦」だけで管理OKとなったらどれ程救われるでしょうか…。

まだまだ天皇家について伝えたい内容はありますので、次回に続きます。

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